これまで数多くの連載作品を掲載してきた『週刊少年ジャンプ』
そんな、ジャンプ作品の中には連載が中断されたものの、しばらくして連載が再開された作品が多少ながら存在しているのである。
再開した理由は様々で、「過酷な週刊連載で身体を痛めて連載を一時中断せざるを得なかった作品」や、アニメ化などの話があり、「大人の事情により連載を無理やり再開させられた作品」などなど・・・その時代を映す鏡のようでもある。
今回は、そんな遭遇に巻き込まれた漫画たちを紹介したい。
- 「体調不良」編
- 「大人の事情による再開」編
- 「打ち切りからの復活」編
- 「その他、変則」編
- 最後に・・・
「体調不良」編
桂正和「ウイングマン」

第一部のファイナルの途中で体調を崩し休載(1984年20号~40号)
休載中は、タイトル画を鳥山明が描いた「がんばれ桂くん」というミニコーナー(週1ページ)が掲載されていた。
ゆでたまご「キン肉マン」

キン肉マン&ロビンマスクVSキン肉マンゼブラ&パルテノン戦の途中で、ゆでたまごの片方である嶋田先生が腰痛で入院(1985年38号~49号)
休載中は”王位争奪編”の序盤が再掲載されていた。
連載再開時には、キン肉マンが中断寸前のポーズのまま固まっていたりと、休載をネタにしていた。
新沢基栄「ハイスクール!奇面組」

もともと悪かった腰痛が悪化し休載(1987年24号~25号)
よほど悪かったのか連載も終了となり、以降、現在に至るまで漫画家としての活動が大幅に減少してしまう。
冨樫義博「HUNTER×HUNTER」

連載以降、幾度となく休載を挟んでいる。
育児休暇、ハワイ休暇、ゲーム休暇、体調不良、緻密なストーリーを練るため・・・等々、これまで様々な休載理由がネット上で語られてきたが、真意は定かではない。
森田まさのり「ROOKIES」

体調不良のため休載(2003年27号~35号)
大石浩二「トマトイプーのリコピン」

作者腰痛のため、週刊連載は無理と判断。
2018年26号を持って一旦、本誌での連載は終了した。
後に、「ジャンプ+」にて連載が再開された。
葦原大介「ワールドトリガー」

頚椎症性神経根症を患い、2年間の長期に渡る休載(2016年50号~2018年48号)
復帰したものの、週刊での連載は困難なため、2019年からは「ジャンプスクウエア」に移籍、連載を再開された。
「大人の事情による再開」編
江口寿史「ストップ!!ひばりくん!」

思いのほか人気が出たことにより精神的に追い詰められた結果、ストーリーに行き詰まり何度か休載に。
既に限界を迎えていた作者の精神であったが、アニメの放送もあったため連載を続けさせられ、結局、最後は江口寿史が逃亡、打ち切りとなったと言われている。
打ち切りから”27年後”の2010年に、どうにか完結という形となった。
次原隆二「よろしくメカドック」

1984年31号に「39号からの連載再開」を予告して一旦、終了という形になった。
同時期にアニメ化が決定したために、連載続行が決まったのだと思われる。
まつもと泉「きまぐれオレンジロード」

作者の体調不良により、長期休載という形となったが1987年にアニメ化したため、連載を続行。
第二部ではアシスタントに入った”萩原一至”がペン入れを手伝っていたそうだ。
桐山光侍「NINKU―忍空―」

アニメ化の勢いもあり、1994年48号より過去の対戦を描く『SECOND STAGE』を連載したが、「格闘技を描く知識がもうない」との驚きの理由で中断再開を繰り返す(1994年48号~1995年14号、1995年25号~38号)。
3度目の中断以降、少年ジャンプに復活することなく他紙に移籍後完結を迎えた。
つの丸「みどりのマキバオー」

最初は10週の短期集中連載だったが、アニメの人気もあり、好評だったようで第二部としてスタートした。
しかし、一部で完全に燃え尽きていたのか、イマイチ勢いが出ずに物語の終盤で打ち切りとなった。
その後、完結編という形で『赤マルジャンプ』1998年SPRINGに掲載された。
こせきこうじ「県立海空高校野球部部員山下たろーくん」

”1988年に公開されたジャンプイベント用アニメ”の話題作りのために復活したと思われるが定かではない。
光原伸「アウターゾーン」

巻末固定での連載という珍しい形で、もともと10週で終わる予定であったが、
意外にも読者からの好評を得て復活した。
「打ち切りからの復活」編
梅澤春人「HARELUYA」

「HARELUYA」連載狩猟後、読切をはさみ、細かい設定を作り直す形で「BOY」の新連載となった。
厳密には「BOY」は、続編というわけではないが、タイトルには「HARELUYA II」と副題が付いている。
鈴木央「ライジングインパクト」

連載終了後、読者からの終了を悲しむ声があまりにも大きく連載を再開させたそう。
第一部最終回のラスト2ページはコミックス収録時に修正までしていた。
森田まさのり「べしゃり暮らし」

作者の体調不良と「マイペースに描きたい」という希望もあって、週刊少年ジャンプでの連載を終了。
ヤングジャンプへと移籍し、不定期連載という形で連載が再開された。
「その他、変則」編
本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」

一部終了後、二部、二部終了後、三部・・・と、『作者が終わらせたくても、人気がある限り無理やり連載を続行させられる』という、今でも続くジャンプの悪いシステムの元祖。
寺沢武一「コブラ」

描きためて、その都度”短期集中連載”をする、という形をとっていた。
そのため、毎回クオリティの高いシリーズとなっており、このシステムは今のジャンプにも取り入れてもいいのではないかと個人的には思っている。
萩原一至「BASTARD!!-暗黒の破壊神-」

1990年ウインタースペシャルよりスペシャル増刊(季刊)にて連載再開。
地獄の鎮魂歌編、罪と罰編と続くが1996年サマースペシャルを最後に再び中断。
1997年5・6号の読切(贄編第0話)を経て、37・38号より背徳の掟編として連載再開。
月1連載として都合19回連載されるが、1999年41号での掲載(12P)を最後に三度中断
その後、2000年36・37合併号での掲載(51P)を経て、他誌へと移籍していったお騒がせ漫画。
未だに完結していない。
ほったゆみ・小畑健「ヒカルの碁」

休載中、脇役がメインの番外キャラ読切シリーズを掲載していた珍しい例。
第1弾「塔矢アキラ」(12号)、第2弾「加賀鉄男」(13号)、第3弾「奈瀬明日美」(16号)、第4弾「三谷祐輝」(17号)、第5弾「倉田厚」(21号)、第6弾「藤原佐為」(22・23号)など。
高橋和希「遊☆戯☆王」

連載再開後、闇遊戯の記憶が関わるシリーズに。
まとめに入るつもりだったのかは不明だが、読者の望んでいたカードバトルから次第に離れていき、人気も下降気味に。
荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」

毎週31P、STAGE毎に連載休止・再開をする変則的な連載をした後、『ウルトラジャンプ』に移籍した。
岸本斉史「NARUTO」

物語に区切りがついたため、外伝をはさみ、第一部から二年半後の第二部へ。
大場つぐみ・小畑健「DEATH NOTE」

連載再開後、第一部から四年半後の第二部へ。
二部構成は当初から想定していたものか、人気が出たための無理やりの二部なのかは不明。
尾田栄一郎「ONE PIECE」

長年に渡る物語に一区切りがついたため、4週間の休載。
2010年44号からは「新章」として、連載が再開された。
ちなみに休載の間、尾田栄一郎は家族でハワイ旅行に行っていたとのこと。
神海英雄「SOUL CATCHER(S)」

2014年31号を持って、突然「少年ジャンプNEXT!!」へと移籍。
その後、「ジャンプ+」にて完結を迎えた。
クオリティ維持のためか、作者の体調の問題か、移籍理由は不明。
最後に・・・
以上、『週刊少年ジャンプの休載・中断をしていた漫画一覧』であった。
抜けがあると思われるので、気づき次第追加していきたいと思っている。
やはり、中でも「過酷な週刊連載で体調を悪くし、連載を一時中断せざるを得なかった作品」が一番印象的であった。
新沢基栄先生や江口寿史先生は、これが原因となり、後の漫画人生に大きな影響を及ぼしてしまったほどである。
近年、『作者が終わらせたくても、人気がある限り無理やり連載を続行させられる』ということがほとんどとなっているため、今後、また体調を崩す漫画家の人達がでてこないか心配だ。