はぁ・・・・・・。
今回もいつもの如く、すごいため息ね。
これまでの人生、僕は何も成し遂げてこれなかったなあと思って・・・。
まったく、アンタと違ってジャンプ漫画家は若い時から大活躍してるっていうのにね!
ああああ、それは言わないで~。
これまで、数々の名作漫画が誕生してきた『週刊少年ジャンプ』
ところで、みなさんは、こち亀、ドラゴンボール、ワンピース、ナルト・・・等々の”有名な名作漫画”は、作者が何歳のときに描いたものなのかをご存じだろうか?
普段、あまり気にしていないだろうし、なかなか想像がつきにくいことだと思う。
そこで今回は、人気ジャンプ漫画家のデビュー年齢と有名作品をご紹介。
※誕生日の都合上、年齢が前後している場合があり。
※紹介順は適当。
人気ジャンプ漫画家のデビュー年齢と作品を紹介
荒木 飛呂彦
1981年1号に読み切り掲載された『武装ポーカー』でデビュー、当時20歳。
当時のペンネームは”荒木 利之”であった。
このデビュー作は、荒木飛呂彦短編集『ゴージャス・アイリン』に収録されている。
1983年42号からは連載デビュー作となる『魔少年ビーティー』の連載が開始、当時23歳。
悪行を繰り返す主人公・ビーティーは、少年漫画の中では異色であった。
1984年45号からは『バオー来訪者』の連載が開始(当時24歳)。
その後、1987年より代表作となる『ジョジョの奇妙な冒険』の連載が開始される(当時26歳)。
”荒木ワールド”といわれる独特な世界観で描かれるまさに奇妙な物語は、大ヒットとなり、以来、ジョジョシリーズを描き続けている。
井上 雄彦
1988年32号に読み切り掲載された『楓パープル』でデビュー、当時21歳。
当時のペンネームは”成合 雄彦”であった。
このデビュー作は単行本『カメレオンジェイル』に収録されている。
1989年33号にて、連載デビュー作となる『カメレオンジェイル』の連載を開始、当時22歳。
カメレオンのごとく、いくつもの顔をもつ男の活躍を描いた漫画であったが、人気を得ることはできずに、”打ち切り”となった。
その後、1990年42号より『SLAM DUNK』の連載を開始(当時23歳)。
ジャンプ黄金期を支える看板漫画となり、当時、日本ではまだまだマイナーなスポーツであった”バスケット”を一躍人気スポーツへと押し上げた。
小畑 健
1986年、増刊号『週刊少年ジャンプ1986 Autumn Special』に読み切り掲載された『オートバイメモリー』でデビュー、当時17歳。
当時のペンネームは”土方 茂”であった。
1989年22号にて、連載デビュー作となる『CYBORGじいちゃんG』の連載を開始、当時20歳。
デビュー作とは思えないほど、当時から画力が高く、同業者や編集部から一目置かれていたようであったが、漫画自体の人気は思うように出ず、”打ち切り”。
その後、”小畑 健”へとペンネームを変更する。
いくつかの読み切り、連載経験を重ね、1999年2号から自身最大のヒット作となる『ヒカルの碁』の連載が開始される(当時29歳)。
『ヒカルの碁』が終了してからも、2003年36号からは『DEATH NOTE』(当時34歳)、2008年37・38号からは『バクマン。』(当時39歳)と、立て続けに大ヒット漫画を世に送り出した。
高橋 和希
1981年31号「週刊少年サンデー」にて、読み切り『ING!ラブボール』でデビュー、当時18歳。
当時は”雅 はじめ”というペンネームであった。
「週刊少年マガジン」1986年19号からは、連載デビュー作となる『剛Q超児イッキマン』の連載を開始、当時23歳。
新たなる競技である「バトルボール」を通じ、仲間達と勝利を目指す物語で、東映製作アニメのコミカライズでの連載となった。
このときのペンネームは”高橋 はじめ”だった。
後に活動の場を「週刊少年ジャンプ」へと移し、読み切りと連載を経て、1996年42号より、代表作となる『遊☆戯☆王』の連載が開始される(当時33歳)。
連載当初は人気が出ずに苦戦をしたものの、「デュエルモンスターズ」というカードゲームを取り入れると、大ヒットとなった。
原作のカードをモチーフとして、実際に発売された遊戯王のカードゲームは世界各国で驚異的なヒットを記録し続けている。
鳥山 明
1978年52号、読み切り『ワンダーアイランド』でデビュー、当時23歳。
ストーリー漫画より、ギャグ漫画のほうがページ数が半分なうえに、入賞賞金が同じ、という理由からギャグ漫画を描き続け、賞に投稿。
この頃の作品が、後の編集長となる”鳥嶋和彦”の目にとまり、大きな期待をされていた。
1980年5・6号からは、連載デビュー作にして、出世作となる『Dr.スランプ』の連載を開始、当時25歳。
まるでイラストのようなポップな絵柄が、人気となりアニメ化するなど大ヒットとなった。
1984年51号より、代表作となる『ドラゴンボール』の連載を開始、当時29歳。
連載当初はギャグテイストが強く、あまり人気が出なかったが「天下一武道会」をきっかけに爆発的な人気となった。
現在でも、日本のみならず世界各国で愛される漫画、アニメとなっている。
秋本 治
1976年29号、読み切り『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でデビュー、当時24歳。
当時は、”山上たつひこ”の名前をもじった「山止たつひこ」の名義であった。
1976年42号より連載デビュー作となる『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載開始、当時24歳。
徐々に人気を得ると共に、”山上たつひこ”本人からクレームが入り、現在の”秋本 治”のペンネームへと変更に至った経緯がある。
その後、40年間に渡り連載を続け、ギネス記録となる200巻を達成。
結果、自身の人生の半分以上を『こち亀』につぎ込んだ形となった。
桂 正和
1981年32号、読み切り『転校生はヘンソウセイ!?』でデビュー、当時19歳。
専門学校在学中での異例のデビューとなった。
ちなみにこの作品は、短編集”桂正和コレクション vol.1”に収録されている。
1983年5・6号、連載デビュー作となる『ウイングマン』の連載を開始、当時21歳。
本人の好きなものであった”特撮”を取り入れたヒーロー漫画であった。
デビュー作ながら、アニメ化もする大ヒットとなる。
『ウイングマン』終了後は、なかなかヒット作を描き上げることはできなかったものの、1989年『電影少女』(当時27歳)がターニングポイントとなり、1997年『I"s アイズ』(当時35歳)と、恋愛漫画のジャンルで大人気となった。
和月 伸宏
1992年、増刊号『週刊少年ジャンプ1992 Spring Special』に読み切り掲載された『戦国の三日月』でデビュー、当時22歳。
なお、この作品は、『るろうに剣心』単行本6巻、完全版22巻に収録されている。
1994年17号から、連載デビュー作となる『るろうに剣心』の連載を開始、当時24歳。
激動の時代を生き抜いた剣心と宿敵達との戦いを描き、当時、人気を得るのは難しいとされていた「歴史モノ」でありながら人気となった。
また、この作品は、対戦格闘ゲームとして人気を博した「サムライスピリッツ」シリーズに影響を受けたとされ、作者である和月先生自身も後にキャラクターデザインを手掛けるなど、良好な関係を築き上げていた。
矢吹 健太朗
1998年、増刊号『赤マルジャンプ1998 SPRING』に読み切り掲載された『邪馬台幻想記』でデビュー、当時18歳。
その後、1999年12号より『邪馬台幻想記』の連載を開始、当時18歳。
残念ながら人気を得ることはできずに、あえなく”打ち切り”となってしまった。
2000年32号からは『BLACK CAT』の連載を開始、当時20歳。
「ブラック・キャット」と呼ばれるトレインとその仲間達の活躍を描き、大ヒットとなった。
2005年にはアニメ化もされるなど、矢吹先生の名を広めた出世作となる。
2006年からは、『To LOVEる -とらぶる-』の連載を開始、当時26歳。
”少年誌のギリギリをいくエッチな描写”が少年読者の心を掴み、こちらも大ヒットとなった。
アニメ化し、連載終了後もその人気からスピンオフが描かれた。
シリーズを通し、全国各地の少年の液という液を搾り取ったという噂である。
尾田 栄一郎
『月刊少年ジャンプオリジナル 1993年10月号』に読み切り掲載された『神から未来のプレゼント』でデビュー、当時18歳。
スリであるブランと、そのブランに罰を与えようとする神の姿を描いたコメディ漫画であった。
なお、この作品を含め、読み切りで掲載された作品は尾田栄一郎の短編集である『WANTED』に収録されている。
その後、1996年に『ONE PIECE』のプロト版となる『ROMANCE DAWN』を掲載後、1997年34号から『ONE PIECE』の連載を開始する、当時22歳。
『ONE PIECE』の人気は言わずもがな。
この連載開始号となった『週刊少年ジャンプ1997年34号』はプレミアがついており、状態によるが良いものだと2万円以上の価格で取引されている。
岸本 斉史
1997年、増刊号『赤マルジャンプ1997 WINTEER』にて、読み切り掲載された『カラクリ』でデビュー、当時23歳。
2009年に発売されたNARUTOのファンブック『秘伝・皆の書』に収録されている。
その後、読み切りを経て、1999年43号より連載デビュー作となる『NARUTO』の連載を開始、当時25歳。
主人公・ナルトの成長を描き、忍者を題材としたバトルアクション漫画として、日本のみならず世界各国でも大ヒットとなった。
冨樫 義博
1988年、増刊号『週刊少年ジャンプ1988 Winter Special』に読み切り掲載された『とんだバースディプレゼント』でデビュー、当時22歳。
このときの作品は、冨樫義博短編集『狼なんて怖くない!! 』に収録されている。
1989年32号からは『てんで性悪キューピッド』で連載デビュー、当時23歳。
悪魔と少年の恋愛を描いたラブコメディであったが、残念ながら”打ち切り”となってしまった。
1990年51号からは、自身の代表作となる『幽☆遊☆白書』の連載を開始、当時24歳。
当初はハートフルな話が多かったが、途中から格闘漫画へとシフトチェンジ。
いつしか当時のジャンプを支える看板作品とまでなり、1992年にはアニメ化、漫画同様に人気となった。
連載終了後は、1995年からは『レベルE』(当時29歳)、1998年からは、『HUNTER×HUNTER』(当時32歳)の連載を開始し、こちらも大人気となっている。
久保 帯人
1996年、増刊号『週刊少年ジャンプ1996 Summer Special』に読み切り掲載された『ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE』でデビュー、当時19歳。
当時のペンネームは”久保 宣章”であった。
1999年34号より、連載デビュー作である『ZOMBIE POWDER』の連載を開始、当時22歳。
このとき、現在のペンネームである”久保 帯人”となる。
「ゾンビパウダー」を巡り、主人公・ガンマの活躍を描く西部劇であったが、人気を得ることはできず、”打ち切り”となってしまった。
2001年36・37号からは代表作となる『BLEACH』の連載を開始、当時24歳。
死神代行となった一護の活躍を描き、アニメ化もされ、日本のみならず世界各国で大人気となった。
空知 英秋
2002年42号に読み切り掲載された『だんでらいおん』でデビュー、当時23歳。
この作品は、『銀魂』1巻に収録されている。
2004年2号からは連載デビュー作となる『銀魂』の連載を開始、当時24歳。
奇抜で独特な世界観から、連載当初は人気の低迷が続き、”打ち切り”寸前であった。
しかし、そこから驚異的な巻き返しを見せ、看板漫画になるまでに成長。
アニメや実写映画も大ヒットした。
堀越 耕平
2007年、増刊号『赤マルジャンプ2007 SUMMER』に読み切り掲載された『テンコ』にてデビュー、当時21歳。
この作品は単行本に現在まで収録されておらず、『赤マルジャンプ2007 SUMMER』でのみ読むことができる状態となっている。
2010年32号からは連載デビュー作となる『逢魔ヶ刻動物園』の連載が開始、当時23歳。
夕刻になると、人間の姿になる動物たちが巻き起こすファンタジー漫画であったが、人気が出ず”打ち切り”となってしまう。
その後、2012年25号から本人の意欲作でもあった『戦星のバルジ』(当時24歳)の連載を開始するも、こちらも前作同様に人気が出なかった。
2014年32号より『僕のヒーローアカデミア』の連載を開始(当時26歳)。
本誌での連載ラストチャンスを見事ものにし、アニメ化もされるなど、大人気漫画となっている。
最後に・・・
以上、『人気ジャンプ漫画家のデビュー年齢と作品紹介』であった。
中には、作者が思っていた以上に若い年齢のときに描かれていた漫画もあって、その才能には驚かされた。
今回まとめてみて、わかったが「20歳前後でデビュー、20代中盤辺りで連載を持ち、20代後半辺りで名作を描き上げる」というのが、いわゆるジャンプのスター街道といったところか。